夏休みの自由研究の課題が、理科から出ることに疑問を抱く人は案外少ないのかもしれない。
自分もその一人であった。当時は嬉々として自由研究を行っていた記憶があるが、苦痛に感じる子供は多いようで、大学時代の家庭教師で自由研究を代行したこともあった。自由研究を苦痛に感じること自体悪いことではないと思うが、思うに問題はもっと根深い。
大抵、彼らの話を聞いてみると理科に関心が薄い一方で、スポーツや音楽、社会に関心が高いし、ユニークなアイデアを持っていることもある。それらを生かして自由研究を行えば良いじゃないかと言うと、「いや、理科じゃないし….」と不服そうに漏らすのである。
人は自由研究を行って初めて、自由研究が全く自由でないことを知るのだ。
ことに私が主張したいことは、人類の創生から現代にわたる研究の全てが、化学や物理や生物学であったわけではないことだ。政治や、文学、音楽も綿々と研究されてきた。それをどうして小中学生が自身の関心に任せた自由研究に研究してはいけない法がどこにあるのだろうか。
これまで聞いてきた自由研究の中でもインパクトがあるのが納豆菌の研究で、納豆菌の繁殖力の強さゆえに苦労した話を楽しく聞いた覚えがある。そんな面白い自由研究を、理科系以外でも聞いてみたいなと思う。

コメント
子どもが自由研究の要綱が書かれたプリントを持ってましたよ。(↓)
*以下の内容のものは主題として選ばないようにすること。
①ネットの検索で研究が完結してしまうもの。
例1:「—–」
例2:「—–」
例3:「—–」
②結論が出ないもの。
例1:「—–」
例2:「—–」
例3:「—–」
③結論が曖昧なもの。
例1:「—–」
例2:「—–」
例3:「—–」
↑↑こんな感じでした。
毎年、主題としてふさわしくないものを、子どもたちが自由研究として提出しており、どうすれば子どもたちが自由研究に没頭してくれるのかを、学校の先生がたが試行錯誤されているのが現状なのではないでしょうか?
主さんが仰られるように、制約を取っ払って、一度子どもたちに自由にやらせてみるのも、ひとつの方法かもしれませんね。